『Seven Days War』 創作 バレンタインデー ネタバレ注意


バレンタインデー。

ゼクス公国にも、れっきとしてその行事が存在していた。
起源が何であったかは、既に誰も覚えていないくらいの過去のことになってしまっていたが、愛しい人から愛しい人へチョコレートを贈る日、という習慣だけは根強く存在していたのである。

そんなバレンタインデーに、珍しく考え込む女性が一人いた。

公国の首都にある、図書館で働くバリバリの独身女性、クリスである。



恋愛ごとにことさら疎く、年中行事になればなお疎い彼女だったが、バレンタインデーを知らないというほどは酷くない。
二十五年も生きてくれば、それからの人生に困らないくらいの知識は一通り揃っていると言えよう。
クリスは、バレンタインデーがどんな日であるかを当然知っていたが、自分でその行事に乗っかったことが皆無であったため、現在の自分の立場を照らし合わせて、 さて、どうしたものかと考え込んでいるのであった。

好きな人にチョコレートを贈る。これはいい。
いくらなんでも、かける金が勿体無いとは思わない。
が、今現在好きな人がいるかと問われると、これがかなり微妙なのであった。





クリスは今まで、アインスという田舎町にある古本屋で働きながら、ずっと一人で生きてきたが、つい先日、首都ゼクスに否応なく連行され、そのままなし崩しに 生活を変えなければならない羽目になった。

その原因になった、三人の騎士たち。

アレン、ベルナドット、クラウドという名を持つ三人の騎士は、公国に仕える身であり、かなりの地位を持つ人間だった。
そして、三人がそれぞれに、美丈夫と呼べる容貌を持ち、強さも兼ね備えた、首都に住む女性の憧れの的でもある。




その三人が、こともあろうに、何でだかさっぱりわからないが、ともかく、自分に惚れているらしい。




これが、目下クリスの頭を悩ませている最大の原因だった。



正直、クリスの今の感情に一番近い言葉といえば、「面倒」というこの一言に尽きるが、そこで止まっても始まらない。
いっそ、バレンタインデーという行事を無視してしまおうかとも思ったが、それは、心臓に毛が生えている騎士三人。


ある者は、「もうすぐバレンタインデーだな」と真っ向から仕事場に乗り込み、ある者は「お前、まさかあのイベント知らないとか言わないよな?」と神経を 逆撫で、またある者は「チョコレート以外のものでも、大歓迎だよ」と、セクハラぎりぎりの台詞を、既にクリスにぶちかましていた。


「………別に私からもらわなくても、嫌ってほどもらえるだろうになあ………」


退路を断たれた形になったクリスは、ため息をつきながら、これといった解決策もないまま、こうしてバレンタインデー当日を迎えていた。

クリスの頭の中には、本命からもらえるチョコレートが何より嬉しい、という観念があまりない。
首都の女性中から憧れの的である彼らのこと。
バレンタインデー当日は、山のようなチョコレートで執務室は埋め尽くされるだろう。
それだけもらえれば充分じゃないだろうか、という物理的な判断しかできないのは、今まで、思いを込めてチョコレートを贈ったことが一度もないからだろう。


そしてこんな発想をしてしまう今現在も、三人の騎士誰一人本命ではない、ということを暗に示しているのだが、それにはクリス自身は全く気づいていない。


面倒だ、と思いながらもそのイベントを避けて通らないのは、騎士三人の先制攻撃のせいもあったが、クリス自身も少なからず、騎士たちにチョコレートを 贈ってもいいかな、という気持ちに傾いているからだった。
せっかく引っ越してきた首都である。
イベントもにぎわっているし、菓子のお店も華やかだ。
あれやこれや考えて、チョコレートを買う女の子の姿は、何とも可愛い。
感謝の気持ちを表す意味でも、チョコレートを贈ってもいいはずだ。
だったら、三人にチョコレートを自分から贈ってもいいだろう。


「………感謝………ねえ」


騎士三人と関わるはめになった事件を思い出すと、感謝どころか、憎しみが噴出してきそうだったが、過去は振り返らないことにして、クリスはとりあえず街中にある 菓子店へ向かった。





クリスは、自分の料理に何の自信もないので、必然的に店にやってきたが、これだってアインスの街では異例のことだなと思う。
田舎町や、村では、物を買うという習慣そのものがあまりない。自給自足は大袈裟だが、自分で作れるものは自分で作るのが庶民の当たり前だったし、 クリスも一人で、古本屋の二階に下宿しているときは、完全に自炊していた。勿論、必要最低限のものだけだが。
だが、首都ゼクスにはさすがに物があふれている。
街に住む人は、店から何かを買うということに対して、何のためらいもないし、それが当たり前だと思っている。
今まで自分が暮してきた十年と、あまりに違う目の前の様子を見て、クリスはあまり思い出さない故郷のことを少しだけ思った。

いざ店の前に来てみると、そこには、色とりどりの包みがあふれ、同じく色とりどりの衣装を身に着けた女の子たちが、それぞれにチョコレートを手に持って 楽しそうにしていた。
バレンタインデーだろうが、仕事が休みになるわけもなく、図書館からの勤めを終えたクリスは、制服姿であり、喧騒の中では若干浮いていたが、 それはそれで仕方がない。
夕日もとうに傾き、夜の闇が降りる頃、クリスは、完全に目の前の状況にのまれたまま、店の様子をぼんやりと眺めていた。
確かにチョコレートはどれも美味しそうだ。
頬を染める女の子たちも可愛い。

が、その女の子たちがあまりに真剣なので、店に入るのに思わずためらった。

ためらったまま、入る機会を逃した。
義理であげるチョコレートを選ぶだけの自分が、何となく躊躇するような、真剣かつ、鬼の形相をしている乙女の姿を見て、気圧されたと言ってもいい。

「…駆け込みで、ラストスパートってとこなのかな…。アインスでは、それぞれが自分で作ってたから、ここまで凄い姿は見たことなかったけど、 やっぱり力の入った行事なんだなあ」

ごったがえす店の前で、しばらく様子を見守っていたクリスだったが、それで事態が解決するわけもなく、
「とりあえず、買うもの買ったら早く出よう」
と、もらう相手が聞いたら泣きそうな台詞をつぶやきながら、店内に突入していった。





あふれる人に、はじき返されそうになりながら、何とか値段も手ごろなチョコレート―当然全く同じ包みの物―を三個掴み、会計を済まし、 なだれのように押し出されて、クリスは普段運動しない自分の体力を呪った。
「つ、疲れるイベント…」
ただでさえ、仕事終わりで疲れた身体を抱え、さてこれから騎士三人を探しにいこうか、と、身体をひるがえすと、僅かにバランスを崩した身体が、 前にのめった。
「わ…」
前に倒れそうになった体を支えきれず、反射的に両手を出したクリスの身体を、背後から急に伸びてきた腕がしっかりと支えた。
「あ、ありがとうございます」
腰を抱きすくめられるような形になったクリスは、動転しながらも、礼を言いつつ自分の背後に立ち、たくましい腕を持っている男に振り返る。


「久しぶりだな」
「………貴方は」


地の底から響くような低い声を発した男は、するりとクリスの腰から自分の腕を離すと、少し日焼けした顔で、頬に皺を作りながら笑った。




クリスが低次元の悩みを抱え、ごったがえす店の中で悪戦苦闘している中で、待ちぼうけを食らっている男三人も、平常心ではいられなかった。
女性から男性に大っぴらに告白できる、一年に一度の行事なのである。
意中の相手がいる男性にとって、気にならぬはずがない。
チョコレートをもらって、あわよくばそのまま押し倒す、くらいの勢いのある年齢の男三人なら、なお更だった。

が、

「相手があの人だから」

と、変な達観をしてしまうのもまた事実だった。


騎士三人は、それぞれ他の連中が同じ相手を好きだということを知っていたから、他二人の様子が気になるのも同じだった。
自分だけもらえれば、それはもう、完全にオッケーということである。これが喜ばずにいられようか。
他の二人ももらっていれば、それは複雑だが、その渡したチョコレートに明らかな落差があれば、それはそれでやっぱりオッケーだった。
じゃあ、それぞれが全く同じチョコレートをもらっていたら。
そうなったら、脱力感を抱えて一人枕を濡らすしかない。

ただ、

「あの人そういうこと一番平気でしそう」

と、直感にも似た何かを感じてしまうのもこれまた事実だった。


ストーカーではないが、三人はクリスがその日図書館で勤務していることを知っていた。
仕事を休むような人間ではないし、仕事に対して責任感のある人間だから、どう頑張ってもチョコレートを買うのは仕事帰り、ということになる。
事前に準備、というのは、昨日、探りを入れたときのクリスの、「えー…」という、悲しいリアクションから見てもまずありえない。
仕事中抜け出して店に行く、というような真似をするはずもなく、となると、もうすぐ夕食が始まろうかというこの時間に、クリスはチョコレートを買っているということになる。
誰かのために。
たった一人の誰かのために。
もしくは、押しなべて三人のために。

そんな、悶々とした男三人は、月例報告のために宮殿を訪れ、何故か、雁首そろえて顔を付き合わせるはめになってしまっていた。


「…………………」
「何でこんな日まで、お前らと一緒なんだよ…」
「君達こそ、そんなに急いで執務室に戻ってどうするつもりだい?」

普段特別仲良くもなければ、悪くもない三人の間に、険悪としか呼べない空気が漂っていた。
宮殿の廊下を無言でずかずかと歩き進めるアレンの僅か後ろに、にらみを利かせるベルナドットと、それを笑いながら受け流すクラウドという、 いつもの立ち位置で、三人の心中はほぼ同じだった。

「一刻も早く二人きりでチョコレートを受け取れる場所に移動しなければ………!」

クリスが聞いたら、それこそ眉根を寄せて嫌そうな顔をしそうな心の叫びだったが、それぞれ、年頃の男性である。そう思うのもお預けをくらっている 男からしてみれば、致し方のないことだった。


「お前は残念だな。騎士寮に執務室ないからな」
「別に残念だとは思わないよ。この宮殿にちゃんとした一室があるからね。君たちこそ、あんな殺伐とした場で、不埒な真似を考えていたりするのではないだろうね」
「不埒なのは、お前の普段の行いだろう」
「まあ、でもこれではっきりするだろう。もし、クリスがこの場所へ来たら、それは私に贈り物を届けに来てくれたということだからね」
「何でそんなこと決め付けられるんだよ」
「当然だろう? 用もなく宮殿にクリスが来るはずがない。用があるから、この場所へ来るのだから。その用は一つしかない」
「クリスは公国図書館の職員なのだから、宮殿に用があることもあるだろう」
「この時間に? それはないね」
「僕を探しに来た、ってことも当然ありえるよな」
「俺をな」
「…妙なところで自己主張するね、君は」

本人がいないからこそ言える、低俗な言い争いは、三人が宮殿の門にたどり着くまで続いた。
だが、門が見えてきたその瞬間、門の前に立っているクリスの姿を確認した三人は、ぴたりとその言い争いをやめる。


「あ、お仕事お疲れ様です」


街で出会ったとき、当然のように交わされる最初の言葉を口にして、クリスは三人の姿を見つけて、ほんの僅かだが笑った。
走るのも格好が悪いので、競歩に近い歩速で騎士三人はクリスに近づき、門をくぐる。

「これはクリス。仕事は終わったのかな」
「はい。今日は定時に終わりました。それで、真っ直ぐにお菓子の店に行って、真っ直ぐにここへ来たんです」

真っ直ぐ、という言葉に、勝利の笑みを浮かべるクラウドと、敗北の心の涙を流すアレンとベルナドット。

「そうかい。それは嬉しいね。私に会いに真っ直ぐに来てくれるとは」
「いや、別にクラウドさんにだけ会いにきたわけじゃ…。皆さんがここにいるって、教えてもらったので来たんです。はい、これ」

クリスは手に持っていた包みから、包装された小さな箱を取り出す。

「チョコレートです。今日はバレンタインデーですからどうぞ。はい、お二人も」


クラウドがアレンとベルナドットよりも早くにチョコレートを受け取れたのは、恋愛の差ではなく、ただその場にいた距離の差にすぎない。


「…………………」
「…………………」
「…………………」

三人の騎士に手渡された包みは、当然、すん分の狂いもなく全く同じものだった。


「………やっぱりな………」

確信に近い予感は見事に的中し、脱力する三人だったが、それは経験の差か年の差か。立ち直るのはクラウドが一番早かった。


「そう、ありがとう。何より嬉しいよ」
「そんなに、大層なものじゃないですよ」
「君がくれたことが嬉しいんだよ。それでクリス、今日はこの後用事でもあるのかい? なければこれから一緒に食事でもどうだい?」
「え?」
「お、おい、クラウド!」
「………抜け目がないな」
「うるさい外野のことはほっといて、美味しいデザートが食べられる店があるんだ。チョコレートのお返しだよ」
「それ、何てお店ですか?」

クラウドが店名を伝えると、


「ああ、やっぱり有名なお店なんですね。私、今からそのお店に行くんです」


あっさりと、そう言い放って、クリスは嬉しそうに笑った。





「………え?」
「皆さんがここにいるって、教えてもらった時に、これから時間があれば食事でもしないかって、誘われたので…。だから、すいません」
「さ、誘われたって、誰にだよ!」
「何でそんな切羽詰った声出すんです? 大公にです」
「大公に………?」



現在のゼクス公国の大公は、即位したばかりの青年だった。

眼鏡の奥の厳しい瞳が涼しげな美貌を持つ、近寄りがたい雰囲気の人間だったが、彼もクリスと過去に因縁があり、三人の騎士たちは仕えるべき主とも、 一人の女性を巡って争う羽目になっていた。

だが、幸いなことに、三人の騎士に見せる関心よりも遙かに、クリスが、「こっちへ来るんじゃない!」オーラを大公に向かって出していることから 考えても、大公からの食事の誘いを、しかも笑顔で受けるということは考えられなかった。

「大公って…。エリックと?」
「え? いや、違います。あ、そうか。今の大公はそっちでしたね。私が言っているのは、元大公のことです」


現大公の父親は、獅子王と呼ばれるほど有能で、勇猛な男だった。
その王は現在息子に、大公の座を譲り、大公の補佐官のような、お目付け役のような立場になり、隠居生活を楽しむ身分になっていた。
それは、当然三人の騎士も知っていた。
隠居したとはいえ、絶大な権力を持った男である。有能さには微塵も翳はないし、男ぶりも霞む気配すらない。


そして、若くして妻を亡くした元大公は、現在、完全に独身なのであった。


「転びそうになったのを助けてもらいまして。最初私も誰だかわからなかったんですけどね。服装が違うだけでも、結構わからないものですねえ。 それで、皆さんがこちらにいるって教えてもらって、それで、もうすぐこの国を出て他の国の様子を見に行くから、その前に一度食事でもどうだって、 誘ってもらいまして」
「それでお前、行くって言ったのかよ!?」
「え、そりゃ言いましたよ。もうすぐこの国から離れるなら、会える機会も少なくなるわけですし。この首都に来てから色々お世話になりましたし…。 おまけに、普段行かないようなお店に、案内してくれると言うので」
「君は、そういった店はあまり好まないのかと思っていたが…」
「確かに好きじゃないですけど、でもほら、一回くらいは行ってみてもいいかな、って思うじゃないですか。自分ひとりじゃ中々行けませんし。 とんでもないことうっかりしでかしそうですし。でも…」
「でも?」

「でもほら、あの大公なら、何でも助けてくれそうじゃないですか。こっちがうっかりしてても、フォローしてくれそうだというか。 頼りがいがあるって言うか…。ついていって安心というか…。だから、たまにはご馳走になろうかな、と思いまして。 本当はバレンタインデーだから、立場が逆だとはわかってるんですけどね」


複雑怪奇な表情を浮かべた騎士三人の前で、クリスは笑って言った。この上なく嬉しそうに。


「今まであまりお話をしたことがなかったので、楽しみです。じゃあ、私はこれで。図書寮の前で待っていてもらっているので…。 失礼します」


そういい残し、やたらにタイトで、身体のラインが強調された、図書館の制服をなびかせながら、クリスは朗らかに去っていった。

残されたのは、完全に敗北した、騎士三人。


「………伏兵現る、かな………」
「………あいつ、おっさん好みだったのか………」
「………………」
「無言で追いかける、とかやめときなさい。アレン」


結局、チョコレートをもらうという目的は果たしたものの、枕を涙で濡らす事実にはかわりがなかった三人なのであった。