『Seven Days War』 創作 プレゼント ネタバレ注意


もうじき春がきて、暖かくなってくるある日。
現大公の妹であり、絶世の美少女であるダイアナは、細々した生活用品を購入するために、ゼクスの街を歩いていた。
いくら美少女でも、美しい赤毛と緑の瞳を持っていても、調味料がなければ料理はできないし、蝋燭がなくなれば灯りも付けられない。
生活臭とは全く無縁の容姿を持つダイアナだったが、そんな生活を送る事になったのも、つい最近の話で、それまでは母と二人で細々と田舎町で暮していたのだから、 それなりの身分になった今でも、自分の身の回りの事は自分で行うようにしていた。


「あれ…?」


ゼクス公国の首都で、人ごみの中、知り合いの顔を見たような気がしたダイアナは、立ち止まる。
道の向かいに、見慣れた姿を確認する。
茶色の髪を一つに結わき、シャツにパンツルックという飾り気のない格好をした女は、ダイアナに背を向けて店の前に立っていた。


「クリスさ…」


手を振りながら、挨拶をしようとしたダイアナは―ぴたり、と動きを止めた。

何故なら。





「………クリスが?」
「ええ。何処かでお顔を拝見したことがあるような…気がするんですけど…」


同日。

ダイアナが街で買ってきたという、新しい紅茶を飲みながら、現大公エリックは愁眉を寄せた。
大公としての仕事もひと段落つき、自室で休憩でもと思ったところに、ちょうど居合わせたダイアナは、手ずから紅茶を振舞うことになった。
エリックは気難しい大公と呼ばれ、私室に人を入れることは殆どなく、ダイアナはその例外に当てはまる数少ない存在だった。
暖めたティーカップに、紅色の液体を注ぎ、椅子に浅く腰掛けた兄に渡す。
渡された方は、無言でカップを受け取ると、静かに口をつけた。


「………………」
「美味しいですか?」
「俺は、不味いものは飲まない」


口を開けば皮肉しかいわない兄だったが、ダイアナにとって、側にいる肉親はエリック一人だった。
父親は生きているが、諸外国を旅していて、中々会う機会も少ない。

赤毛に緑の瞳。影を落とすほどの長いまつげを持つダイアナと、銀髪に青灰色の切れ長の瞳を持つエリックは、外見は似ても似つかなかったが、 一人の女性に目下関心がある、という点では驚くほど共通していた。


「で?」
「はい?」
「あいつが昼間に出歩くとは珍しいな」

結局、話が聞きたいのかと言いたくなったが、言ったところで認めないので、ダイアナは素直に頷いた。


「そうですね。でも、図書館の制服を着ていなかったから、お休みの日だったのでは…」
「だったら、余計にありえないだろう。あの出不精な人間が、休みの日に、用もないのに無目的に出歩くとは思えないな」

酷い言い様だったが、大正解なので、ダイアナも黙る。

「じゃあ、クリスさん…。何をしていたんでしょうね…」




二人の会話の中心になっているのは、クリスという女性だった。

ダイアナと七日間の馬車旅に偶然一緒になり、盗賊に襲われたとき、身を挺して助けた人間だ。
早いうちから自立し、一人で十年間暮してきた、容姿もぱっとしない行き遅れの人間だったが、ダイアナにとっては嘘偽りなく、命の恩人だった。

エリックにとっては、二年ほど前に自分の生活に風のように乱入し、嵐のように去っていき、公国の継承権に関わる問題に勝手に巻き込んだという、 縁もゆかりも歪んだ関係ではあったが、それでも、意中の人として、その存在はゆるぎないものになっていた。

ダイアナにとっても、エリックにとっても、クリスは特別な人間であり、そんな意味では、二人は火花を散らす好敵手関係と言える。





「さあな。大方、昼飯を食べに出たか、そんなくだらないことだろう」
「でも、クリスさんだったら、昼ごはんを忘れたら、そのまま平気で次の日まで待つんじゃないですか?」

食に全く関心のないクリスが、二人の目に浮かぶ。

「誰かに頼まれて買い物でもしていたんじゃないのか」
「誰かって、公国図書館の方とかですか? わざわざ外に出て、買わなきゃいけない物を、公国図書館の方が頼むんでしょうか…」

平均年齢四十には達しているであろう、地味な職員たちを思い出して、エリックも黙り込む。

「…知らん。あいつが何処で何をしようが俺には関係のない話だ」


だったら、聞かなければいいのに。


無作法な音を立てながら、紅茶を不味そうにすする兄の姿を見て、天邪鬼は父親譲りなのかとダイアナはため息をついた。

「確かにそうなんですけど…。でも…」
「くどいぞ、ダイアナ。お前がクリスに関心があるのは知っているが…」

言葉を制そうとしたエリックは、ふと、真顔で自分の妹の顔を見つめた。

「何か?」
「お前、クリスの何処がそんなに気に入ってる?」




命の恩人に恩義を感じるのは、人として当たり前だ。

七日間の間助けられ続け、知り合いもいないゼクスの街で唯一とも呼べる親しい存在なのだから、親愛の情を持っても当然だろう。
だが、一時的な感情は過ぎ去り、その後に残るものは、相手に対する好感になる。
どれだけ、過去に人の命を救ったところで、平穏になってしまえばあらも出る。

人を好きになるより、嫌いになるほうが、何倍も容易い。

エリックの問いに、ダイアナは首をかしげている。


「何処って、言われても」
「ないのか?」
「急に聞かれると。具体的になんて、考えたこともなくて…。ただ、好きなんです」
「どの辺が」
「ええと…そうだな…。カッコいいところとか」

仮にも女性に対する誉め言葉ではなかったが、ダイアナはにこにこと笑っている。



「カッコいい?」
「ええ。私を全身で守ってくれて。騎士様にもちゃんと自分の主張を通して、色々慰めてくれたりとか、一緒に泣いてくれたりとか…。 話していて面白いし…。即断即決もできて、判断に迷いもないし。間違ったこと言わないし。頭もいいし…。自分の責任は自分で取る、他人に迷惑をかけないっていう 生き方がカッコいいって言うか…」



どう頑張って解釈しても、未婚の女性に使われる誉め言葉ではなかったが、エリックも異論がないので黙るしかない。

男の自分から見るクリスの魅力と、女のダイアナから見るクリスの魅力と、何処か違うのかとも思ったが、寸分の狂いもなく同じだったので、 複雑な気持ちになって、また紅茶をすする。

どちらかといえば、女性が男性に求めるカッコいい要素なような気がしたが、うっとりと話すダイアナにそれを言うのははばかられた。


男性に声をかけられる心配をするより、女性に過度な憧れを抱かせるのを、防がねばならないというのも、どうだろう。






「…言い換えれば、自分の身を大事にせず、騎士に後先考えずつっかかり、自分の面倒も見られないのに人に構い、歳のせいで涙腺も緩くなり、 おしゃべりで、短慮が過ぎて、はた迷惑な行動をとり、猪のように前しか見えなくて、いつも正論だけで人をねじ伏せて、頭がいいのは年の功で、 他人に頼ることもなく一人でしか生きられない人間、ってことだな」
「………兄さん………。どうしてそういう言い方しかできないの………」

ダイアナの目が本気で据わったので、さすがのエリックも黙ってカップに視線を落とすしかできなかった。

「お前は、クリスの事になるとむきになるな」
「それは兄さんでしょ。兄さんが他の人に関心を向けてることなんて、ないじゃない」
「お前には向けてる」
「私は肉親でしょう。そうじゃない人に向けてる関心なんて、アレン様や、ベルナドット様や、クラウド様くらいでしょう」

同じく、クリスを狙う男三人の名前を告げられ、エリックは憮然とした表情を浮かべた。

「私にやきもちをやいている暇があったら、少しはクリスさんに優しくしてあげればいいのに…」
「俺はいつでも、優しい男だろう」
「何処が!? クリスさん、いっつも迷惑そうにしてるじゃない!」

次第に打ち解けてくると、ダイアナは敬語を使うのをやめる。

初めの頃は、無理やり敬語を使うのをやめさせていたが、一向に直る気配がないので、本人の自主性に任せていた。


「そんなことばっかりしていると、一緒に花屋の隣にいた男性に、クリスさん取られちゃうから」

がしゃん、と派手な音がして手に持っていた受け皿に、ひびが入った。

「一緒にいた、男?」
「兄さん…お皿…。そのカップ高いんでしょう…」




クリスは、元々本好きで勤め先も図書館で、と、根っからの出不精だった。
人付き合いも得意ではないし、好きでもない。
当たり障りのない人間関係は築くが、特別相手に深入りしようという気もないし、それが異性の対象であるならばなお更だった。

自分の中の、半径三メートルくらいの狭い世界を守ることのみに徹するような人間が、よりにもよって、花屋で男と一緒にいるなど、 クリスを知る人間であれば、口をそろえて「ありえない」と絶叫するだろう。


「うん…。私もさすがに驚いたって言うか…。まず、場所がお花屋さんの前ってことも驚きだし…」

クリスは、自然美に対しての興味が薄い。

綺麗とか、感動する、という感情はあってもそれが長続きしないし、人から花をもらったという経験が一度もないことから、花をありがたがる気持ちもあまりない。

「私の部屋にあっても、世話の仕方がわからなくて枯らしちゃうから、可哀想でしょう」

と、何かの景品でもらった花の鉢植えを、わざわざ職場に持ってきたことすらあったという。


そんなクリスが、花を買う。


「お前、目が悪くなったんじゃないのか」
「…いくら私でも、花屋さんと他の店を間違えたりしないから」
「じゃ、誰かに贈る花でも買ったんだろ」
「誰に贈るの?」

そう言われて考えると、エリックにも全く相手がわからない。

「もし、私だったら…嬉しいけど、クリスさんきっとお花じゃなくて、お菓子とかになると思うの…。大体、私に今何か贈る理由がないし…」

エリックにもない。

ないどころか、自分だけ避けて通られそうなくらいにない。
あったとしたら、のろいの人形あたりだろうが、クリスがそんな暇で確実性のないことに手を出すとも思えない。
空しい現実を想像して、エリックは紅茶のカップをテーブルに置いて、ため息をついた。


「そうなると、やっぱり騎士様かな」

ばり、っという音がして、カップの持ち手が折れる。

「兄さん………。そのカップ、特注なんでしょう………?」


確かに、三人の騎士とクリスは、それなりに連絡を取り合っているようだったが、あくまで、社交辞令的な関係にすぎない。
もっぱら、好き好き光線を放っているのは騎士のほうで、クリスは「ああはいそうですか」と、いつも流しているような印象がある。
大体、花を贈って貰えるような関係になれば、嬉々として報告に来るだろう、根性の悪い奴も知っている。
それ以外の連中だとしたら、隠そうとしても失敗して何処からか漏れるか、「結婚しました」と、いきなり爆弾発言をぶちかましてくるだろうが、 そのどちらも今のところない。



「ありえないな」

エリックは眼鏡を外し、疲労した目頭を押さえた。

「そうね…。お三方とも特別クリスさんと親しくなった、っていう話は聞いたことがないし…。それに、好きな相手に贈るのだったら、 一人で行くか、そうでなくても、一緒にいた男性に合わせて選ぶ、何て真似はしないと思うし…」

ぼき、っという音がして、眼鏡のフレームが折れる。

「………………兄さん…………。明日から、執務どうするの………?」
「合わせて、とは、どういう意味だ」


兄の険悪な声―本人は隠そうとしているのかもしれないが、ちっとも隠せていない―にひきながらも、ダイアナはその時の様子を反芻した。

「ええと、最初はクリスさんが一人でお花を見ているのかと思ったんだけど、その横に、男の人がいて…。何を話しているのかわからなかったけど、 一緒に花を選んでいるのは確かみたいで…。それで、時々、花を持ってその人の胸の前にあわせたり、助言を聞いたりしていたのは、 確かだと…思う…」
「顔は」
「離れてたし、横顔と後姿だけだったから、よくわからなかったんだけど…。でも、何処かで見たことがあるような気がするの…。 何処だったかな…」

思い出そうと、必死で頭をひねるダイアナ。
それを、平常心からかけ離れた心情で待つエリック。

「ダイアナ」
「何?」
「まさかとは思うが、親父じゃないだろうな」



エリックの父親は、一度、クリスを食事に誘い、しかも、素直に了承をもらったという過去の実績を持つ。

エリックはその場に居合わせなかったが、その悲惨な場面に出くわした騎士三人から、「アンタの親父はどうなってるんだいい年して娘と同じような歳の女に 手を出すほど不自由してるのかどうせいなくなるからって手軽に近くの女をつまみぐったりするな」と、死ぬほど怨念を吐き出されたこともあり、 実の父親といえ―当人にその気は全くないとしても―油断することはなかった。


「いくらなんでも、それだったら私にもわかるわ。あ、でも、近いかも」
「何だ、近いって」
「だからわからないんだってば。でも、こう、何かお父様よりっていうか…。うーん、思い出せないなあ…。何処かのお店のご主人とかじゃないし…」

結局、ダイアナにそれ以上のことは思い出せず、最終的に断言できたのは、


「買ってたのはね、ミニバラだと思う。凄く渋い色合いで…あんまり派手じゃない、大人っぽい感じの花だった」


と、エリックにとってどうでもいい花の種類だけだった。






余波を残したまま、午後のお茶会は終了し、エリックは執務に戻る。
仕事は山積しており、クリスの顔を見てからかうことも出来ず、エリックはただいたずらに日々を過ごした。



大公の仕事とはいえ、派手なことはあまりない。
尽きることなくあがってくる書類に目を通し、印を押すだけで終わる日もある。


苛立ちを抑えたまま仕事を黙々とこなしていたエリックの前に、見知った相手がやってきたのは、お茶会からしばらく経ったある日だった。





「失礼致します。クラウド殿からの書類をお持ちいたしました」

普段ならエリック付きの騎士である、クラウド当人がやってくるのだが、急な用事で出立しなければならなくなったと、従者である初老の男が 代理で現れた。

「…ご苦労」

と、型どおりの挨拶をし、机の上の書類から目を上げて男を見ると―そこには、ダイアナが話していた内容そのままが存在していた。

「それは」
「ああ、この花ですか。執務中に失礼致しました」


ダイアナが説明したとおりの、渋い色合いをしたミニバラを持って、クラウドの従者は柔和な笑みを浮かべて頭を下げた。


「殿下は、花に興味がおありですか」
「いや」

花そのものには全く興味がないが、その花には覚えがある。
クリスが男に合わせて買ったという、その花には。

「渋くて、いい色でしょう。あまり派手ではないですが」
「ああ」
「以前、クリス嬢―殿下はご存じないかもしれませんが、公国図書館に勤める女性に、たまたま街で偶然出くわしてまして。 その時に、日ごろ世話になっている上司に贈る、誕生日の贈り物を選びたいのだが、近い年齢として何か助言をもらえないかと乞われたのです。 私もあまり花には詳しくありませんが、贈り主の歳が近いということで、花屋で見立てるのに付き合ったことがございます」
「……………………」


何だ、と、ダイアナがその場にいれば、ぽかんとした顔で笑っただろう。

確かに、公国図書館の上司ともなれば、かなりの年齢がいっていてもおかしくない。

まだ、首都ゼクスに引っ越してきて間もないクリスに、老齢に近い年齢の知り合いが多くいるわけがなかった。

自分が贈られることには慣れていないが、変なところで義理堅い人間であるクリスは、何かの拍子に知った上司の誕生日に、 当たり障りのない贈り物として、花を選んだのだろう。


そこに、偶然居合わせた、クラウドの従者が付き合う羽目になったという、ただそれだけだったのだ。


「そうか…」
「殿下? どうかされましたか」
「いや、なんでもない」


休日一つの、他愛もない行動で、こうも狼狽していた自分がおかしくて、エリックは苦笑した。
それを見て、従者は歳を重ねた優雅な所作で、退室の礼をする。
足音を立てずに、歴戦の過去の勇者は扉まで一直線に進み、ぴたり、と立ち止まった。









「最も、私が誕生日の贈り物として選んだミニバラとは、色が違いますが」









音を立てて、室内の気温が下がった。


不覚にも黙ってしまった大公を見て、初老の従者は年輪を刻んだ顔で笑う。






「あの時選んだのは、暖色系のミニバラでしてね。このバラはラビリンスといって、薄青色の非常に珍しいバラなのです。私が、 この色が好きだと言ったのを、どうやら覚えていてくださったようで―わざわざ今日、購入して届けに来てくださったのですよ」





薄青のミニバラは、確かに銀髪の初老の男によく映えた。
現役を退いた元騎士は、肉体の衰えを、黒いベストの中に隠し、ぴしりと背筋を伸ばした次勢で、優雅に微笑んだ。
瞳の色と同じ、薄青のバラは、香りを発することなく、ただ宝物のように男の腕の中にある。





「殿下は、ミニバラの花言葉をご存知ですか? 恋する心、というのですよ。では、失礼致します。お騒がせ致しました」




静かに、執務室の豪奢な扉が閉じられる。


若干、二十五歳という若さで大公の座に上り詰め、文武両道、優秀な男と称されるエリックが、初老の従者に完全敗北した瞬間だった。







その後。


「今度はじじいじゃないか! あいつの趣味、上過ぎるぞ!」
「クラウド…。お前、従者の手綱くらいしっかり握っておけ」
「いや、私としてもさすがにね…。まさか、飼い犬に手を噛まれるとは思ってもみなかったよ」


三人の騎士は、大公に続いてあらぬ場所から飛び出してきた伏兵に顔色を変え。


「………兄さん………。百パーセント保障するけど、クリスさん花言葉なんて、知らないと思うし、気にもしないだろうし、花の値段とか、 希少価値なんて、絶対に意識してないと思うけど………」


愛する妹からの心優しいフォローを受け、エリックは今まで以上にクリスにちょっかいを出し、ますます煙たがられたという。