『Seven Days War』 創作 ベルナドット2 ネタバレ注意


今年一年が終わろうとしている年の瀬。
痩身だが引き締まった身体を、騎士服に隠したベルナドットは、寒空の中、宮廷女子寮の前にたたずんでいた。
普段なら、仮にも女子寮。男であるベルナドットには縁がなく、入り込むことができない場所であったが、今日はすんなりと侵入を許され、外套にうっすらと積もった 雪を払いながら、冷たく長い廊下を歩き出す。

ゼクス公国に一つしかない、公共の女子寮。

公共機関に勤める女子のための寮であり、存在はしているものの、利用している人間はそれほど多くはない。
各役職についている重鎮は、それぞれ男性女性問わず人を雇用しているが、その人間は、雇われた側に住まいを用意され、身近にいるのが常だったし、 圧倒的に男性の雇用が多かった。


先代大公は男女の差なく、人を重用する人間だったが、率先して男女の垣根を取り払おうという気もさらさらなく、女子寮の存在も、利用する人間が 一人もいなくなればつぶせばいい、くらいの価値観だったため、女子寮は男子寮と比べて、建物の外装も内観も決して立派なものではなかった。


「どうぞ、ベルナドット様、奥へ。もう殆ど誰も残っておりませんし」

寮を管理する、初老の男が柔和な笑みを浮かべて、ベルナドットに挨拶をした。

「誰もいないのか?」
「さすがに、明日が新年では。家が近いものも、遠いものも、帰郷してしまいましたから」

では、そんな人口密度の減った寮に居残っているのは、よほどの事情があるものばかりか。
ベルナドットは、聞こえないようにため息をつきながら、かるく会釈をして、管理人の横を通り過ぎる。
管理人は、若く有能な騎士が、誰目当てで寮を訪れたのか知っていたから、遠ざかっていく後姿を眺めながら、
「本当に、恋人同士なのかねえ」
と、これまた聞かれないように小さなため息をついた。



公共施設は、既にクリスマスから閉められ、年明けまで開かない。
早く休暇が取れたものは、馬車に揺られて故郷に帰郷し、ゼクスに住むものは親元へ帰ったり、家族の元へ帰ったりと、男子女子問わず、仕事以外の理由で、 首都に残っているものは殆どいない。

あまりに遠方で帰れないか、金銭的な問題で居残るしかないか。

身内がおらず、天涯孤独の身であっても、友人知人に誘われれば、たった一人、寮の一室で寝泊りする必要もない。
そんな、寮から人が出て行く一方の中で、孤高を保って残っている人間の一人が、ベルナドットの求める―端的に言えば、恋人と呼べる相手だった。



ベルナドット自身は貴族の生まれで、何不自由ない育ちをしてきた。寒さに凍えた記憶もないし、飢えて涙を流した記憶もない。 家は城かと見まごうばかりの豪邸で、白い漆喰や、大理石が眩しく彫刻された柱に囲まれて生きてきたベルナドットだったが、木ではられた床や、 むき出しの壁に囲まれた、頑丈だが古びた建物の中を歩いていても、特に何も感じない。

ただ、感じないのは本人だけで、周囲から見れば、金髪碧眼、眉目秀麗で、噂と羨望の的である騎士が、殺風景な建物の中を歩いていれば、違和感を感じずには いられないだろう。



ぎしり、ぎしりと廊下を歩く。
目的の部屋の扉は、ほんの少し開いていた。


「………クリス?」

声をかけながら、そっと覗くと、狭い室内にあるベッドに腰掛け、手元にある紙を覗き込む女の姿があった。
いつもと同じように、パンツルックにシャツ。さすがに真冬になり、大きな肩掛けを羽織ってはいたが、全く女性を意識した洋服ではない姿で、 クリスと声をかけられた女は、火の消えた部屋でうつむいていた。


「………………………」


「クリス………!」

何処か、遠い場所にいってしまいそうな横顔を見て、ベルナドットは思わず声を上げる。
上ずった男の声に反応し、クリスは廊下から自分を見下ろすベルナドットに、やっと気がついた。

「あ、びっくりしました。ベルナドットさんじゃないですか」

いつもと変わらない態度に、安堵しつつ、ベルナドットは扉を少しだけ開く。

「こんにちは。今日も寒いですね」

クリスは手に持っていた紙をベッドに置くと、内側から扉を開いた。


「寒いっていうか、お前の部屋、寒すぎるだろ」
「あ、今までちょっと部屋の空気の入れ替えしてたので。そう言われれば寒いですね」

一部屋しかない狭い部屋。扉の対面には小さな窓があり、それも細く開いていた。

「すみません、今閉めますね」
クリスはベルナドットから遠ざかり、窓を閉める。
ベルナドットはしばらく入り口で躊躇していたものの、
「どうしました? 入らないんですか?」
警戒どころか、男として全く意識していないクリスの声に、苦虫を噛み潰したような顔をしながら、部屋に足を踏み入れた。


「………相変わらず、何もない部屋だな」
「なんですか? 来た早々いきなり喧嘩売ってんですか」
「そんなつもりじゃない!」
「物がないのは、昔からですよ。一間しかないんですから、そんなに家具も置けませんし」

クリスは元々、アインスという首都から離れた街の古本屋に勤め、その家の一室を間借りして生きてきた。
狭い部屋には慣れていたし、自分から見れば、ベッドと机、引き出しを置いてもまだ余裕のあるこの部屋を、息苦しいとは思えない。
私物がないのは、生まれつきの性分で、必要なもの以外は置かない主義のクリスの部屋は、明らかに性別不明だった。


「この寒い中、どうかしたんですか?」

クリスはそう言いながら、部屋の隅に据えられている薪ストーブに火を入れた。パチパチと薪のはぜる音が聞こえ、焦げた匂いがうっすらと香る室内で、 ベルナドットはクリスの背中を、ぼんやりと眺めた。


初めて出会ったときも、今も、全く変わらない。
女性としてはこれといって特徴のある体つきではない。多少、胸が人より大きいことをベルナドットは知っていたが、それを口に出せば、 クリスに窓から落とされることを知っているので、口をへの字の曲げる。

ストーブの上に、小さなポットを置き、何やら準備をしているクリスの後ろで、ベルナドットは、ベッドに置かれたままの紙に目をやる。
クリスは元々、総ての事柄に対して真剣な態度で接する人間だったが、常に感覚が外にも張り巡らされているようで、他人から名を呼ばれて気づかないということはない。 ベルナドットの声にも反応せず、真剣な眼差しで何を見ていたのだろう、と、目を細めて紙を凝視すると、それは手紙のようだった。


「アインスから、手紙が来たんですよ」
「うわっ!?」

急に声をかけられ、驚いた視線の先には、クリスがなんでもないような顔をして立っていた。

「い、いや僕は別に」
「別に手にとって眺めようとしたわけじゃないんですから、いいですよ別に隠さなくても」
「………クリス」
「はい?」
「その、お前は帰らないのか?」
「ああ、年末年始ですか。そうですねえ、今のところその予定はないです。もう、馬車を借りて帰っても、ただ立ち寄っただけ程度の時間しかいられませんし。それに」
「それに?」
「特別、帰らなきゃいけない、用事もないですから」


クリスは元々人との縁が薄い人間だった。親元から離れて一人暮らしをして久しいし、率先して年末年始の挨拶をしたこともない。
住んでいる街で顔を合わせれば挨拶くらいはするが、わざわざ出向こうという気にはなれなかった。


「遠方に故郷がある方は、長期のお休みですから、いい機会なんでしょうけど。私は別に」
「それにしては、随分」

熱心に、アインスからの手紙を読んでいたじゃないか。
ベルナドットはそう言い掛けてやめた。
子供じみた、何処へ向けていいのかわからないような、やきもちのような感覚を持つのは嫌だったし、あきれられるのも嫌だった。
ベルナドットは、クリスと同じように、家族関係が希薄な人間だったが、それは一般家庭より、わずかに複雑な事情が絡んでいたため、希薄と言うよりは、 憎しみの感情に近い。
ベルナドットはゼクスで生まれ、ゼクスで育ったが、故郷と言う優しい感情はない。
そこにしかいられなかったから、たまたまそこで生きていた。
帰る場所は何処にもなく、きっとこれからもない。

立ち位置が同じような場所にあるクリスを思うと、嬉しく思う反面、自分が住みなれた街から、引きずり出して来てしまったのだという、負い目も同時に浮かんでくる。



あの事件で、自分に出会わなければ。
巻き込まれたりしなかったら、一生、慣れ親しんだアインスの街で、平和に暮らしていたのだろうに。
それが、クリスが望む一番の幸福だと知っていて、それなのに、彼女の口から―帰るという言葉を聞きたくない。

一度帰ったら、もう、二度と戻ってこないかもしれないから。



「ベルナドットさん、何だか今日は変ですね。言いよどんだりして、どうしたんですか?」

気がつけば、クリスが間近で自分の顔を覗き込んでた。
明るい茶色の髪。長い前髪で、瞳はよく見えない。
それでもベルナドットには、クリスがどんな表情をしているのか、一瞬で見て取れた。

帰らないと言った。
それが本心であることに疑いの余地はない。
けれど、どんなに真実であっても、すぐに変わってしまうかもしれない。
今この瞬間は、帰らずとも、明日には帰ると思い立ってしまうかもしれないのだ。
思い立ったら、決断したら、クリスは誰にも相談せずに、勝手に動いて消えてしまう。
波紋を投げかけていることにも気づかずに、挨拶だけすませれば、それでいいと。



「………本当は、お前、帰りたいんじゃないのか?」
「は?」

そうではないと知っているのに、思わず口がすべる。

「だから、アインスに」
「いえ、別に」

ベルナドットの問いに、クリスはやはり、顔色一つ変えずに答える。

「本当か?」
「本当です」
「………でも」
「だから、帰る用事がないって言ってるじゃないですか。わざわざこの寒空に、長い時間馬車に揺られていたくないですよ」
「でも、手紙がきてたんだろう? アインスから」
「ああ、これですね」
「だから、僕はてっきり―お前が帰るのかと」
「あのですね、大体里帰りだったら、私が帰るのはツヴァイですよ。アインスは出稼ぎで住んでた街で、故郷じゃないです。まあ、故郷よりも愛着がありますし、 十年も住んでいれば、そっちが故郷みたいなものですけど」

クリスはそう言いながら、ベッドから手紙を拾う。

「誰からだ?」
「ああ、ほら、私が勤めていた古本屋の奥さんからです」
「何だって? 帰って来いって?」
「………くどいですね。何かこだわりでもあるんですか?」

図星を指され、顔を赤くするベルナドット。

「別にないけど。なんだよ、近況報告か?」

ベルナドットの問いに、初めてクリスが困ったような表情を見せた。


「………いや、まあ、その、なんと言いましょうか………」
「? なんだよ」
「説明しづらいというか、説明したくないというか」
「はあ?」
「まあ、いいじゃないですか。他人の手紙の内容なんて。大したこと書いてないですから」

他人と言われて、ベルナドットの眉間のしわが深くなる。



「………大したことないなら、見せられるだろう」
「人様の手紙なんて、興味持つようなものじゃないですよ」
「大体、僕とお前は他人じゃないんだから、大した手紙じゃなくても、隠し立てするようなことじゃないだろ!?」
「な、何怒ってるんですか!? そんなこと大声で言わないでくださいよ!」

顔の赤みが酷くなるベルナドットと、その発言に対して頬を染めるクリス。

「お前が他人だとか言うからだろ!?」
「それは、言葉のあやじゃないですか! 親しい間柄でも、手紙を盗み見るなんてよくないですよ!」
「盗み見てない! 堂々と聞いてるんじゃないか!」
「何えばってんですか!? 堂々と聞かれたからって、個人的な内容、ぺらぺらしゃべるわけないでしょう!?」

沸騰しかかったポットを背に、二人は部屋の真ん中で怒鳴りあっていた。
外は、うっすらと降り続ける雪の音だけが響き、閑散とした室内には、湯気の立ち上る音と、男と女の怒鳴り声。
人の気配がない女子寮で、クリスの部屋だけは、熱気と感情にあふれていた。


「………………………」
「………………………」

無言でにらみ合い、ベルナドットが目をそらした。この手の勝負に、ベルナドットはクリス相手で、殆ど勝ったことがない。

「本当は帰りたいなら、無理するなよ」
「え?」
「たまには、顔を見せてやってもいいだろうし………。せっかく、手紙をくれたんだったら」
「いや、だからそういう類の手紙ではなくてですね」
「………………………」
「さっきから、ベルナドットさんが何を気にしているのかは知りませんけど、本当に帰る気なら、休みが始まったと同時に帰ってますよ。アインスまで、 馬車の往復で何日かかると思ってるんですか? 向こうに着いた途端に、図書館始まっちゃいますから」
「でも、お前がやけに真剣な顔で手紙を読んでいたみたいに、見えたから」
「………そりゃまあ、真剣にもなります」
「クリス?」

何処となく、遠い目をして笑うクリス。

「そんなに、知りたいですか?」
「え?」
「手紙の内容」
「………………………」
「ベルナドットさん?」
「し、知りたい………かもしれない」
「何ですそれ」
「うるさいな!」
「笑いません?」
「え?」
「大した内容じゃないですよ。それに、絶対笑わないなら、はい、どうぞ」


クリスは、ベルナドットの鼻先に、ずい、と白い便箋を突き出した。

大き目の字を、ベルナドットは慌てて追う。
そこには、簡単な近況報告と―。



「………………………」
「だから、言ったでしょう。真剣にもなるって」


勝手に想像され、勝手に計画された、クリスの部屋を飾り立てる予定の、レース編みや毛糸編みの品物が、便箋四枚に渡って、ずらりと羅列されていた。



「………………………」
「………はあ」
「枕カバーに、シーツに、ベッドカバーに………タペストリー? まだまだあるぞ」
「趣味なんです。奥さんの。私がアインスに住み始めたときは、もう、間借りしていた部屋物凄かったんですよ。そこらじゅう、レースだらけで」
「レース?」

飾り気とは、まるで縁のないクリスが、真っ白なレースに包まれ、花柄の刺繍にくるまれて眠る姿を思わず想像し、ベルナドットは噴出した。

「………ぶっ」
「笑わないって、言ったじゃないですか!」
「わ、笑ってない!」
「嘘つけ!」

ベルナドットの手から、手紙をひったくると、クリスは怨念のこもった目で、手紙をしげしげと眺め、深いため息をついた。

「だから、大した内容じゃないって言ったんですよ」
「クリス、お前、アインスにいたとき、どうしてたんだ?」
「こっそり、時間をかけて教会のバザーに寄付してました。まともな部屋になるまで、半年くらいかかりましたよ」
「お前、それはそれで酷いぞ!?」
「仕方がないじゃないですか! どんなに断っても、仕事から帰ってみれば、部屋にレース編みのテーブルクロスとか置いてあるんですよ!? 私の部屋にテーブルないのに!  そんな使えないものもらっても、どうにもなりませんよ!」
「それで、またお前にやるって?」
「………近況報告なんてしたのが、間違ってました。何だか以前よりも気合が入っているような気がします………。近いうちにきっと、大量のレース編みや、 凄いこった編み方のショールとか、送られてくるんですよ、きっと………」
「そんなに真剣にならなくても」
「なりますよ! 興味がない上に、私のキャラじゃない!」
「キャラって言うな、キャラって!」
「興味がないし、キャラでもないし、おまけに似合わない! レースと私なんて、どう頑張っても歩み寄る要素が何処にもないんです! 好みじゃなくたって似合えばまだ ましですけど、私とレースですよ!? 似合うと思います!?」
「想像つかない」
「でしょう!? あああああやっと普通の部屋で暮らせると思ったのに………」
「送られてきたの、処分すれば良いじゃないか」
「さすがの私でも、好意で送られてきたものを処分するのは、気が咎めますよ。それに今回は」
「今回は?」

う、っと返事に詰まるクリス。
その隙に、余裕を取り戻したベルナドットは、クリスの手から手紙をひょい、と抜き取った。

「ちょ、ちょっと!」
「?」

まだ見ていなかった、六枚目の便箋を開く。


ベルナドットは、最後の数行にはっきりと―婚約祝いの文字を確認した。




「………………………」
「………黙らないでください。こっちも恥ずかしいんですから」
「………そ、そうだな」
「ははは」


お互いに顔を赤くしながら、乾いた笑いを浮かべる。
ベルナドットがクリスを見下ろし、クリスがベルナドットを見上げた。


「………………………」
「………………………」
「クリス」
「あ、や、やっとお湯が沸いたみたいですね。簡単なものでよければ、お茶でも飲みますか?」
「部屋はまだ、少し寒いな」
「ずっと窓と扉を開けてましたから。空気が悪いのが嫌で。冬場はどうしても閉め切っていることが多いので」
「古い建物だから、隙間風も入るだろ」
「でも、作りは頑丈ですから、そんなこと気になりませんよ。住めば都です。勿体無いくらいの」

小さな部屋の小さな薪ストーブでは、殆ど暖を取ることができない。
室内は暖めきれない空気が底に沈み、足元から寒さが上ってくる。

「クリスは、寒いの平気なのか?」
「いえ、全然駄目です。今だって、わからないかもしれないですけど、凄く厚着をしているんですよ」

クリスは笑いながら、自分の身体を軽く叩いた。
元々、ふくよかではない体型は、着膨れしていても、あまり印象が変わらない。

「何枚も、靴下をはいてみたりして」
「そんなに寒いのが苦手なのに、さっきはよく、寒い中いられたな」
「それだけ、真剣に………というか、切羽詰ってたんでしょうね。手紙のせいで」
「入ってきたとき、廊下よりも寒かったぞ」
「ベルナドットさんは寒がりじゃないでしょう。あまり、着ている洋服変わりませんし」

いつもの騎士服に、外套だけ身につけた格好のベルナドットを見て、クリスがうらやましそうに言う。

「そうでもないけどな。普通だろ」
「いっそ、ベルナドットさん用の、肩掛けや、ひざ掛け編んでもらったほうが、害が少なくていいかも………」
「害って言うな、害って!」
「冗談です。お祝いの品ですから、ちゃんと自分が受け取らないと意味がないですし。でもそうなると、ベルナドットさんにも責任の半分はあるわけですから、 やっぱり引き受けてもらったほうが………」
「僕はいい」
「また、そういうことを言う」
「僕は寒くないからな」
「防寒着なら、私もまだ黙って受け取れますけどね………」


クリスは丁寧に便箋をたたむと、自分の手に、小さく息を吹きかけた。
はあ、という声と共に、わずかに赤い指先をこすり合わせる。

息が見えるような仕草に、ベルナドットの両手が伸びる。


「うわっ!?」
「僕は、寒くない」
「そ、そ、そうですか。あの、手………」
「お前がいれば」


握り締めた両手を離し、有無を言わせず、腕の中に身体ごと抱え込む。
ぎゅう、と抱きしめると、重ね着しているせいか、いつもより身体の熱が遠い気がする。

それが寂しくて、ベルナドットはいつもより強い力で、クリスを抱きしめた。



「寒くない」
「………………………」
「お前は? クリス」
「………………………」


クリスからの返事はなかった。
それはいつものことだった。
クリスは自分からは何も言わないし、抱きついても来ない。
手も握ってこないし、キスもない。
だから、自分からいつもこうする。
好きだと言って、帰るなと言って、帰らせないために抱きしめる。



するり、と、熱がわずかに上に向かった。

「………?」
「………そうですね………」

いつもは、だらりと下がったままの腕が、少しずつ上に。
何かを探すように、ゆっくりと手は、ベルナドットの背中を上り、ちょうどいい場所で止まった。


「そんなに、寒くない………かもしれませんね………。今のところ」


自分が、抱き返されているのだと気づき、それには長い時間を要したベルナドットは、
「………クリス、お前、熱でもあるのか?」
本気でそう発言し、一大決心の元行動を起こしたクリスの逆鱗に触れ、寒空の中たたき出されたのだという。



後日。
「何だこれ!?」
ベルナドットの騎士舎宛てに、色とりどりのレース編みが届くことになるのだが、住所を詐称した本人は、怒りを持続したまま、黙して語ることはなかった。