『Seven Days War』 創作 クラウド ネタバレ注意


「結婚します」
そう、私を拾い、育てた男に報告する。
目の前の男は、私室でも威風堂々という言葉以外まるで似合わない。
この公国の王であり、今もまだ王であり続ける男は、読んでいた手紙を置いて私を見上げた。
「ほう」
「一応報告を、と思いましてね」
「久しぶりにお前が俺の前に現れたと思ったら、珍しい話題を持ってきたな」
「そうでしょうか。私ももう三十ですから。遅すぎるくらいでしょう」
「陰鬱な顔をしたガキが、もう夫婦の真似事か」
「真似事なんてとんでもない。至って真剣です」
「真剣? お前がか」

大公は手紙にまた目を戻し、そのまま顔を上げない。私も何も言わなかった。
時間をかけて読み終わると、後で誰かに託すのだろう手紙を机の横に放り投げ、腕を組んで首を鳴らし、改めて私に尋ねた。


「で、どんな女だ」
「美しく、賢く、優しく、素晴らしい女性ですよ」
「そんなつまらない女など、今までお前の回りにいくらでもいただろう」
「今までの女性とは違います。私には勿体無いくらいの女性ですから」
「相当入れ込んでいるようだな。面白い」
「貴方が他人に対して面白がるとは珍しい。てっきり、報告だけで追い返されるのかと思っていましたよ」


むしろ、そうされるだろうと思ったからこそ報告に来たのだが、珍しく私の予想が外れたらしい。それも、最悪な方向に。
他人に関心を示さず、自分の確固たる世界しか見ない男。
何でもできるのではない。何でもできるようにしてしまう、変えるだけの力のある男は、私を拾うだけ拾ってそのままにし、今まで私に対して何の関心も 示すことはなかった。
十五年間、必要な言葉以外かわしたことはなく、それは感情がつきまとうものではなかった。
無感動で、無関心な会話をお互いに受け止める。
相手は私をただ拾い、私はただ相手に拾われた。
その事実が過去として残っていたとしても、私が気にしなくとも生き方に関わってくる事実を、相手はそれこそ、くだらないとも思わずに横に置いていた。

ただ、強い人間なのだ。
そして、強い人間は弱くはならない。
弱くなる余地がある人間は、強いと称するのが根本的におかしいのだろう。
他人が私をどう評価しているのか想像がつくが、それは演じたものもあれば、本質的なものもある。
大公は、他人の評価を無視し、評価されている自分にすら感慨を抱かないようだった。
要するに、自分だけよければそれでいいというところが、行くところまで行き着いた人間というべきか。
そんな男が、エリックのような他人の反応を気にせずにはいられない男の父親だということが、奇跡のようだったが、エリックのように人として可愛げのあるほうが、 まだ話していて面白い。

大公との会話は、面白さも苦しさも生まず、ただ私にとって息苦しいだけだった。

そんな男が、自分以外の人間が持ってきた話題に、面白さを感じるとは。
嫌な予感がする。それも、猛烈に。
私のそんな予見は、総じて当たる。
今回もそれは例外ではなかったようだ。



「お前のおためごかしは聞き飽きた。一回会ってみたいものだな」
にやりと笑ってそう言う。
私にとってそれは見たくもない笑いだった。
「ご冗談を」
「冗談を言う暇はない」
「会ってどうされるのです」
「どうにかして欲しいのか」
「それこそ笑えない冗談です」

ぬるり、と思わず言葉遣いがとげとげしくなる。
どうも私は、この男の前に出ると、十五年前の自分が抑えられない。
そんな私の様子を男はつまらなそうに見た。
「余裕がないな」
「私はいつでも臆病者ですから」
「お前の冗談は聞き飽きたと言わなかったか?」
「さあ。おっしゃいましたか」
「聞くところによると、女傑のようだな」



女傑。
クリスが?
何処の誰がそんな報告をしたのだろう。
アレンか、それともベルナドットか。
エリック大公殿下という可能性が一番高かったが、私以上に大公に会う機会のないエリックが、わざわざ自分の主観を入れて、先日の事件を報告するとも思えない。

「それは随分と穿った意見ですね」
「お前からの報告からは、そんな様子は全く聞かなかったからな」
「私は事実を言ったまでです」
「よほど、お前にとって大切らしいな」


揶揄ではなく、大公はただそう言った。
真剣なのは当たり前だ。この男はいつだって、言う言葉総てが真っ直ぐで、真剣そのものなのだから。

そんな様子が、ふと、クリスを思い起こさせて思わず笑みを忘れて黙る。
さっきの返事は、失言だった。
自分でも意識していなかった―いや、していたのだが、私はどうやら、他人にクリスのことを知られるのが、不快らしい。
たった一言、私が好意を寄せているのだという説明が、一番しっくりくる。
他の言葉は、すべてクリスを表すには不適当に思える。
私の感情を除外して、事実を述べればそこには、相手が関心を持つ女性はいなかったはずなのに。

それが、この世で最も厄介な男に知られてしまっているのは、どういうことなのか。

この男に知られた。
相手の本質を見抜き、ただ見据える男に知られたということは、クリスの知らない面を私よりも知ってしまうということになりかねない。


それは、実に、不愉快だ。


クリスは私の相手で、この男に見られるためにゼクスにいるのではない。
私は、大公にはっきりと拒絶すべきだったのだろう。
ただ大公は私の中で唯一の、拒絶できない相手だった。それが、ここまで取り返しのつかない結果を呼ぶとは。


こんなことなら、騎士を辞めてゼクスから早々に立ち去るべきだったか。

そんなことを言い出そうものなら、鬼の形相で睨んでくるであろうクリスを思い浮かべ、心の中だけで苦笑する。
あの人は、逃げることを責めたりはしない。
その選択が自分の中で生まれ、自分で選んだものならそれでいいと言うだろう。
けれど、クリスは人を許すことが出来ても、自分を許すことができない人だ。一緒に逃げたとしても、それを肯定しても、心の隅で気にすることを止めない。
私のように、割り切って生きることが出来ない人なのだ。
割り切っているように見えても、決して、道を踏み外すことを幸福と感じられない人。
自分のルールを曲げることはできても、曲げることによって、傷つくことに慣れたりはしない。


クリスに、そんな選択は決してさせたくない。
あの七日間、いつも無理やり最善を選ばせるような選択ばかりさせてきた。余裕を与えられず、いつも追い詰めてばかりで。
追い詰めても、手を差し伸べることも出来ず、クリスが自ら飛び降りる様をただ黙って見ていることしか出来なかった。
助けたいと思い、そのために、他の人間を殺そうとした。それが道徳的に間違っているとか、悪であるとか、そんなことは私にとってどうでもいいことだった。
大切な人を助けたい。その人だけが一番で後はすべて同じ肉の塊。
生きていて欲しいのは、あの人だけで、他のすべての生き物が死に絶えたとしても構わない。それをやるのが自分自身であっても。

クリスは、私のそんな手を、振り切るどころか、噛み付いて引っ叩いて力技で私の手を他の相手に向けさせた。
自分は、たった一人で崖に向かって振り向かずに私を置いて走り去って。


それは、自殺よりもずっと酷い仕打ちだった。


私を置いて、去る。
助けたい相手を助け、その中に私が含まれていても、それでもそれでは、残される私は一体どうすればいいのだろう。
死後の世界を信じない。
けれど、私がその後クリスの後を追ったとしたら、生きていても死んでいてもクリスはきっと悲しむだろうと思うから、私にとって最良の選択を選ぶこともできない。


あの人といることは、まるで、拷問。
クリスという女性の生き方が見せるのは、甘く、恍惚とした、果てのない不安。


クリスが他の人間を大切にしたいと思うことすら、私にとっては苦しみでしかない。
私を大切にして欲しいわけではない。
私を嫌ってしまうのならそれでいい。
自分を守ってくれればそれでいい。
けれど、あの人は、そうせずに私の前から消えるのだろう。
その後に残る人間を考えないのは、私以上に、あの人のことを指すのだと、どうして気づかないのかとても不思議だ。


動けば毒の周りが早くなるだろうと、百も承知で、いや、きっと夢中になって忘れてしまったのだろう。そういう人だ。そんな人だからこそ、 誰も死なずにすみ、自分が死にかけた。



生きている人の肌が冷たくなっていく感触は知っている。死んでいく人間の肌がどれだけ白くなるのかもよく知っている。
初めてだった。
泣き喚く身体を無理やり抱きしめたとき、初めて出会ったとき、傷ついた腕に触れたとき。雨の中毛布ごと抱きしめたときすら、体温が感じられたあの身体。
その身体が、そのまま燃えて消えてしまうのではないかと思うくらい、炎に包まれているかのように、熱く、熱く、私の腕を焦がした。
唇は青い。肌は赤い。
目は見開かれ、瞬き一つせずに私を映す。
けれどその目は何も見えていない。きっと聞こえてもいない。
クリスの身体が、あの人の生き方のように、真っ直ぐにわき目も振らずに、ただ―死へ向かっているのがわかった瞬間、私に出来たのはただ、 彼女が自分には似合わないと恥ずかしがりながら教えてくれた、名前を叫ぶことだけだった。




あんな無力感は味わいたくない。後悔もしたくない。
「クラウド?」
一瞬の間に、今まで生きてきて一番の物事を考えていた私は、かけられた声に返事をした。


「ごめんですね」
「何?」
「貴方に会わせるつもりはありませんよ。この世界の中で、もっとも貴方はあの人に近づいてもらいたくない人だ」


貴方だけではない。
他の誰も近づいて欲しくない。
けれど、そんな鳥かごの中の鳥のようにとらえれば、クリスは柵を折り曲げて、羽をもぎ取って、そこから強引に抜け出すだろうということは、 以前に聞いた質問の答えで知っていた。


だったら、私が妥協するしかないではないか。
クリスの生き方が変えられないのであれば、私はいくらでも自分の生き方を変えよう。



変えさせてくれる。クリスがいれば私はきっと―変わるのだろう。
私の不変の法則。幸福になれる法則すら、きっと毎日、その瞬間に。



「いつ私がお前に会わせてくれと頼んだ?」
大公は、放り投げた手紙をまた拾い上げた。
「俺はそんなこと、一度も言った覚えはないがな」
「同じ事を言ったでしょう。お忘れですか」
「俺は会ってみたいと言っただけだ。お前にそれをお膳立てしてもらおうと思ったこともないし、そうする必要もない」
「それは結構です。そのままでいていただければ幸いだ」
「もうじき、俺に会いに来る相手を、わざわざ俺から呼びつける必要もあるまい」



心臓が、けいれんを起こしたようだった。



「何………?」
「もうそろそろだな。お前の報告はもうわかった。帰れ」
「クリスがここに、来ると?」
「ああ、そういう名前だったな」

冗談ではない。本当に来るのだ。
しかし、一体何故。

「俺が呼びつけたと思っているのか?」
「他にありえない」
「本気でそう思うのなら、お前は随分、その女に骨抜きになっているか、その女を見くびっているかどちらかだな。だから俺は女傑だと言ったんだ」
男は、手の中で掴んだ手紙を俺に向かって差し出した。
特別特徴のない真っ白な封筒。そこには、見慣れぬ字。ただ、大公宛てという以外、形容しようのない表。
男がくるり、と封筒を裏に向ける。
そこには、見知らぬ字で書かれた、私の見知った名前があった。










「失礼します………げっ」




それからほどなくして、時間に正確なクリスが、案内の人間と共に、大公の部屋に入ってきた。
おずおずと頭を下げ、そして、大公の姿と私の姿を確認したのだろう。緊張の面持ちの中に、「何でだ」とはっきり語りながら。


「来たか」
「お時間を作っていただいて、ありがとうございます…」
目線で、私をちらちら確認するが、特別話しかけてはこない。
言葉から察するに、クリスから大公に手紙を出したのは、まず間違いないのだろう。
クリスは扉の前から近づかなかったが、大公が面倒くさそうに、
「そんな遠くでは話しづらい」
と言ったため、大公と机越しに向き合っていた私の側に近寄った。


クリス。
いつものクリスだ。特別変わった様子はない。緊張しているのは当たり前だが、怒っているわけではないらしい。
「あの………何故、クラウドさんがここに…?」
「こいつはいつも面会の約束など取り付けないでここにくる。ただの偶然だ。今追い返す」
クリスと大公を見比べる。
私が向けた視線に、クリスは困ったように半笑いし、大公は
「お前が聞く必要のない話だ。出ろ」
とだけ言った。


「クリス」
「は、はい。どうも、偶然ですね」
「どうして君がここに?」
「ええと、この前大公に会って話さなきゃいけないことがある、と、手紙を書きまして…。それで、この日に約束をしていただいたので、来た、という」
「私には秘密で?」
「秘密というか…。そんなに大っぴらに話すようなことでもなかったですし、たぶん、クラウドさんは反対するだろうと思いまして」
あからさまに困った顔で、私を見上げる。後ろめたいことではないのだろうが、私にとっては、クリスをこのまま一人にするのは、 狼の群れの中に兎を放り込むより性質の悪いことだった。


「俺は、出ろと言ったぞ。クラウド」
「クリス」
「いやあの、別に悪さをしようとかそういうことじゃないんですけど、ただ」
「クラウド、俺の言葉が聞こえないか」
「黙れ」
「くっ、クラウドさん」

私の言葉遣いに仰天したクリスが、大慌てで何故か大公に向かって頭を下げた。

「私はここにいる。君の側を離れない」
「え。別に果し合いに来たわけじゃないので、特別危険なことが待っているわけじゃないですし…」
「随分はっきりとものを言うな。新しい見世物か」
「言っただろう。貴方にだけはクリスを会わせたくないと」
「一体私が来る前に何の話してたんですか…。あまり想像したくないですけど…」
「君がこれから話そうとしている内容ほど、大したことではないよ」
「実際たいしたことのない話だったな」
「は、はあ。結局それで…。どうするんですか、この場」
「お前が力ずくでクラウドを出て行かせて欲しいなら、俺はそうするぞ」
「やめてください」
「日を改めるか?」
「…一度こういう前科を見られると、きっと、何度やっても同じ結果になるでしょうしね…。いいです、もう…。ですけど」

クリスが大公に向き直って言った。

「今から私が話すことを聞いたのち、クラウドさんに対して迷惑をかけることのないようにお願いいたします」

まるで決着をつけに来たような台詞で、大公と対面する。


「いいだろう」


男が返事をする。


今までこんなに、男が興味を示すことなどありはしなかった。

「ありがとうございます」

クリスは、横に立っている私を一度も見なかった。
何を言うか、考えてきたのだろう。少しだけ固く震える声で、ゆっくりと話し始めた。








話し始めたのは、あの事件のこと。
裁判の記録として、クリスも事情聴取され、その内容は大公も既に知っているはずだ。

「私に責任の一端があるということを、大公に知っていただきたかったのです」

それは静かな声だった。

「クラウドさんは、フレデリックの計画に加担した。それはあくまで任務の上で、公国を裏切るつもりもなく、それらはすべて与えられたものだった。 仕事を果たしていたのです。けれど、それは、私の存在で破綻しました」

私を助けた人間が、私を追い詰めたと、あの人は言う。

「私が捕まり、そして人質に取られたことは、既にご存知かと思います。ですが、そのときクラウドさんが取った行動は、ご存知ではないでしょう。 あの場にいた人間で、それを知るのは私と、フレデリックと、クラウドさんだけ」

クリスを守るために、事実だけを告げた私。それを、いつものように打ち破るクリス。

「クラウドさんはきっと言わなかったでしょう。クラウドさんは私を助けるために、命令を無視し、そして、私のために人を殺そうとしました」

その言葉を思い出すのが辛いと、クリスは顔をゆがめる。

「けれど、結局殺すことはありませんでした。それを言いに来たのです」

死刑宣告のように、甘い言葉だった。
私のためだと、クリスがそう言ってくれたことすら喜びのように。



「………何故それを、わざわざ俺に言いに来た?」
短い言葉を反芻するかのように、男が尋ねる。
「そんなことを俺にわざわざ言って、どうしろというのだ。俺に何を決めろと? お前がそんなことを言ったところで、俺は驚かない。 こいつが人を殺すことにためらいのない奴だということは、知っている。それともこいつがそんな選択をする人間だと、俺にわざわざ告げて、 人道的な説教でもする気か」
「そんなことを言いたいのではありません。ただ、貴方にはクラウドさんが選んだことを、知らなければならないと思っただけです」
「この男が、選んだこと?」
「クラウドさんから聞きました。自分を拾った人間が言ったのだと。誰かを生かすのか。それとも殺すのか。それはすべて自分で背負うものであり、 その時どちらを選ぶのかと。貴方は、クラウドさんを十五年前に拾い、その選択を与えた人間です。与えたのであれば、 与えた人間には生じるはずです。貴方にはクラウドさんに人を殺すという選択を与えた責任がある」



静かだったのは、ただ相手が大公であったからなのだろう。
これが同じ立場の人間だったら、きっと、クリスはいつもの通り烈火のごとく怒り、食って掛かったのだろう。
そう、クリスは、十五年前に男が言った言葉に怒っていたのだ。



「人を生かす責任ではなく、殺すことを前提に貴方はクラウドさんに言った。それなのに、クラウドさんが殺すという選択を選び、クラウドさんだけが 責められるのはおかしいでしょう。貴方は殺さないという選択肢を与えることができるのに、そうしなかった。自分で背負うものであり、 どちらを選ぶか。それは確かに事実でしょう。的を射ていると思います。けれど、奇麗事でも、絵空事でも、 それでも、人を殺すという選択肢は、決して他人から他人へ与えていいものではない」

クリスは、そこで一瞬黙った。
私を見て、大公を見る。


「選んだクラウドさんにも、与えた貴方にも、等しく責任がある。私はそう思います。だから私はここに来ました。貴方の責任の所在を明らかにするために。 与えて責任を取らない人間よりも、選んで、そして、私を助けてくれたクラウドさんのほうが、貴方よりも何倍も、勇気のある人間だと私は今でも思います。 そして、クラウドさんにそんな選択をさせてしまった、私の浅はかな行動にも、大きな責任があるということ、明らかにするために、こうして来たのです」



真っ直ぐに、そう言った。
あれだけ怒って、泣いて、私を救ったクリスが今もなお、あの事件がもう終わったのだとしても、人を殺すという私を真っ向から否定したとしても、 その上で、私のために一人で立っている。


あの男に拾われ、囚われている私に、いつでもあの人は、逃げずにそばにいてくれた。
今も、あの七日間も。
突き放して、離れても。またそばに。


「その通りだな」



王以外になれない男から、信じられない言葉が漏れた。


「認めよう。俺にはお前とクラウドをに対して、選ばせてしまった責任があるということを」
「ですが、だからと言って今のお二人の関係を妨害する意思はありません。お約束いただいたように、決して」
「俺はクラウドとの関係をここで終わらせるつもりも、新しく始めるつもりもない」
「ありがとうございます」
「それだけか?」
「それだけです」
「他にも俺に言わせたいことがあるんじゃないのか?」
「は?」
「お前たちに対して、謝罪させたいのではないのか」

最も似合わぬ言葉を、大公は真顔で言う。
クリスは、それに大して何故か困った顔をして、

「そうなると、全員謝らなければいけなくなりますね。私も、クラウドさんも、まだお互いに謝っていませんから」

そう言って、迷惑をかけてすみませんでした、とクリスはその場で真っ先に、私と大公に向かって頭を下げた。









「…だから、クラウドさんには知られたくなかったのに…」
大公の私室を後にして、並んで歩く。
クリスは私の横で、ぶつぶつと聞こえない言い訳をしていた。
「知ってしまったのだから、もう仕方がないよ」
「クラウドさんって、本当に悪運が強いというか…。いて欲しくない場所に絶対にピンポイントでいるというか…」
「性分だからね」
「性格関係ないでしょう」
「どうして私に一言相談しなかったの?」
「相談するような内容じゃないじゃないですか。言ったらきっとクラウドさん、そんなことわざわざ言う必要はないって、止めたでしょう」
「それはそうだね」
「だからこっそり、手紙を渡してもらったのに…。台無しだ…」
「聞いてもいいかい?」
「何ですか?」
「君はいつから、このことを考えていたの?」


大公に一人で立ちふさがり、相手の言葉を追求する。
それはすべて、誰かを守るための行動だった。



「フレデリックにつかまったときから、ずっと」



悔しそうな、申し訳なさそうな顔だった。


「本当に、すみませんでした」
「クリス」
「私が、あの時本屋に行かなければ、きっとクラウドさんの計画はもっと上手く進んだはずです。ダイアナを止めて、それで終わったはずだったのに」
「私たちが欲しかったのは、ダイアナからの言質だからね。あのままダイアナだけを止めても、フレデリックは捕まえられなかった」
「それはそうかもしれませんけど…」
「順番が、逆じゃないのかな」
「え?」
「元々、『宣誓』に無理やり関わらせたのは私だよ。私は君が『証』を持っていないのを知っていた。それなのに、君を開放せずに巻き込んだ」
「それ言ったらきりないですよ。フレデリックの動機や、眼鏡の行動や、公国の王位継承のやり方まで追及しなきゃいけなくなるじゃないですか」
「だけど、どうして君が謝るの?」
「いや、ですから」
「私は、もっと君に言うべきことがあったのにね。好きだとか、必要だとか、そんな言葉のもっともっと前に」



大切にしたいと思っても、できなければ意味がない。
どれだけ大切にするか。それだけが重要で、私はそれを全く成さなかった。
クリスが人として生きて、当たり前のことを望んでいるのに、私はその当たり前のことを忘れていた。




「クリス」
「はい?」
「今からでは、遅すぎるかもしれないけれど」
「は?」
「すまなかった。君を巻き込んで、君を辛い目に遭わせて」
「どっ、どうしたんですか、急に。それはもう、さっき、大公の部屋でお互いに謝罪しあったんだから、いいじゃないですか」
「君が二度言ったのに、もっと責任の重い私があの場だけですむはずがないよ」
「一度言えば充分ですよ。ようは気持ちの問題じゃないですか。回数の問題じゃないです」
「クリス」
「は、はい!?」
「それでも私は、君を好きだという気持ちを止められない」
「今までの会話とどういう繋がりが!?」
「君にすまないと思う。けれど駄目だ。どうしてもこの気持ちは消えない。クリス私はね、間違った道ばかり選んできたのかもしれない。それで君に 迷惑をかけたのかもしれない。けれど、それでも、何故だろうね」



何故か。
いいや、理由などとっくにわかっている。



「君を愛することを、どうしても、やめることが出来ないんだよ」




君が、私の過ちから目をそらさず、人を否定することから逃げなかったからだ。



「あ、相変わらず、どうしようもなく恥ずかしいことを…!」
「恥ずかしくなんかないよ。私とってこれだけが」

唯一、間違えなかったと誇れる選択なのだから。









重なる影を頭上から見下ろす。
正確には、暴れる物体を力技で押さえつける男の後姿を。

まるで嵐のようだ。大きな被害を残し、大きな爪あとを残し、さらっていく。
今回さらわれたのは、たった一つだけだったが。



「大した女だ」



男は、必要なこと以外何も書かれていない、短い内容の手紙を、放り投げることなく自分の机の引き出しにしまいこんだ。