『Seven Days War』 創作 クラウド2 ネタバレ注意


見上げれば、そこには曇天が広がっていた。
小粒の雪が、はらはらと舞い落ち、空と地面との間に、厚い壁が作られたかのようだった。
大晦日から断続的に降り続いている雪は、あまり積もることなく、地面だけをぬかるみに変えて消えていった。
ふわり、と厚い皮の外套を身につけたクラウドは、しっかりした歩調で、年も明けた一日の午後、首都ゼクスに向かって歩いていた。


年の瀬も、正月も関係ない任務についているのは、自分が選んだからではないが、特別文句はない。
動けない―といっても、歴代の大公に比べれば破天荒すぎるほどあちこちを徘徊している―現大公の手となり、足となって各地を回る。
その目で見たことを、主観をいれずに客観的に報告し、仕事は終わる。
クラウドを拾った前大公は、彼を道具のように扱い、主観も客観も含めて、彼のやることに口を挟まなかったから、必然的に己の判断で、 人を生かすことも、殺すこともあったが、今の大公はそれらを求めなかった。


「本当に、似てない親子だ」

似ているようで、全く似ていない。
上に立つものとして、適材適所をわかっていながらも、その人間を使い切ることができない。
向いていないとわかっていても、自分の力量で得て不得手をねじ伏せるような命令を出すことが出来ない。
それが、今の大公の甘さであり、父親とは全く違う性質の国を作るであろうことを、クラウドはよく知っていたから、現大公のやることに口を挟むことはなかった。

幼い頃からの付き合いである、変態気質の現大公は、国を治めるというただ一つに関しては、凡百の名もなき過去の王と同じ才能しか持ち合わせていない。
特別な力や、能力はないし、もって生まれたカリスマ性もない。
人とは違う、図々しくも行き過ぎた性格は、専ら私生活にのみ発揮され、人の困ることをしては喜ぶというはた迷惑な性質は、常に一人の女性に矛先を向けていた。



目的を遂げたクラウドは、しっかりとした足取りで、ゼクスに向かっている。
もう、半時もすれば到着するだろう。
年明けまでに戻りたかったが、予定が狂ってしまった。
正月の門番など、浮かれてしまい、ろくに仕事もできていないのではないか。
午後の街の中は静まり返り、だが一歩店内に足を踏み入れれば、浴びるように酒を飲む連中がたむろしている。

そんな中、黙々と歩を進めるクラウドを、人々はきっと気にも留めない。

「………本当なら、クリスと年を迎えたかったけれどね」

何もせず、清潔なシーツの中でまどろんで年を迎える。
特別なしきたりもなく、ただ互いの体温がそばにあればいい。
ひたすら眠り続け、気がついたら年が明けていて、それを知るのは、ずっと先の話でいい。
自分が抱きしめ、キスをし、相手は迷惑そうにそれを受けながら、毛布から抜け出すことなく、ぼんやりとそばにいてくれれば。
そのまま、次の命令が下るまで。相手の仕事が始まるまで、何も食べず、何も話さずに、あの人の身体を抱きしめていたい。


そんなことを、ぼんやりと考えながら、クラウドは苦笑する。
我ながら、骨抜きになったものだ。身も心もあの人のものになりたいのに、相手がそれを許してくれない。
跪いて、足の甲に口づけをしろと言われれば、喜んでするだろう。
死ねと言われれば、その瞬間に舌を噛み切れる自信がある。

だが、相手はそんなことの片鱗でも見せようものなら、
「何言ってるんですか。脳みそ沸いちゃったんじゃないですか」
と、心底嫌そうな顔をして、あっという間に香りすら残さずに遠ざかる。

それがわかっているから、クラウドは己の言いたいことを半分も言わず、また、言ってしまうこともなく、過ごすことができていた。



クリスに言わせると、自分の発言は人よりずれているらしい。
「何処が?」と問うと、「一事が万事極端なところでしょうか」と、考え込むような返事がくる。

「クラウドさんは、勿論、わかって言ってるんでしょうけど、その、わかってるあたりの価値観が人とはちょっと違うというか………。上手く言えませんけど」
「そう? でも、私は別に人と同じでも、違っていてもどうでも良いよ。君が良ければそれで」
「………そういうところが、ずれてるって言うんです」
「そうかな。私は君のためにいるのだから、当然だろう?」
「何だか、怖いですよそういうの」

クリスは眉間にしわを寄せて言う。

「だって、クラウドさんは私が人を殺せと言えば、殺しかねないじゃないですか」
「そうだね」
「否定してくださいよ! だから私嫌なんですよ、そういう相手に対して依存してるみたいな関係」
「依存?」
「自分の発現の責任を、相手に押し付けてるみたいじゃないですか。こ、恋人同士とかだとよくある、あの人だから許せるとか、あの人の言うことなら信じられるって、 ちょっとおかしいと思うんです。私は、相手が好きな人なら―好きな人でも、駄目なことは駄目だと言いたいし、それを恋人同士だからといって、 誤魔化したくもないです」

物事に対して、常にまっすぐに背を伸ばしているクリスは、自分より背の高い男を見上げていった。
見下ろすばかりの男は、今まで地面しか映っていなかった視界に、別の愛しい存在がいることを確認する。


「そんな関係を、恋人同士って言うなら、私は好きな人と恋人同士にはなりたくないです。その人だから許せる、許せないじゃなくて―問題は、 相手が何をしたかでしょう? 好きな人でも間違っていたら止めなければいけないし、私が間違ったら止めてもらわないと、どうにもならないじゃないですか」


互いに落ちていくばかりで。


それを望んでいる相手に、あの人はいつも、力技で顔を上げさせる。
どんなに相手が好きでも、特別な関係になって目を曇らせるくらいなら、そんな関係は必要ないと、クリスは言った。
よりによって、ベッドの中で、互いに裸でする会話ではない。
クリスは自分からいつも何も求めてこなかったし、関係が一方的なものに限りなく近い、ということは、クラウド自身が一番よく知っていた。
それでも、クリスはそう言った。

相手を慮らなかったわけではない。
相手を少しでも、ほんの少しでも思うからこそ、そう真っ直ぐ相手の目を見て言った。
それは、クラウドが年をまたいで出発する前の出来事。


「年明けまでには帰ってくる予定だけどね」
「この寒いのに、大変ですね。風邪なんて引かないように気をつけてください」

クリスがかける言葉は、大体いつも同じだった。
飾り立てた言葉はなく、十人いれば十人とも平凡な会話だと取るような。
だが、それは、クラウドにとって天上のさえずりよりも価値があり、この世で最も類稀な響きを持つ、思いだった。



白い息をはきながら、クラウドはただ進む。
目的地は首都。目的の相手はその国の大公。仕事はそこで終わり、普段の生活は延々と泥のように続く。
たどり着いた瞬間、別の仕事が待っているかもしれないし、それから一ヶ月以上も何もないかもしれない。
小さな公国は、他国とのこぜりあいもなく、比較的平穏な日々をむさぼってはいたが、いつ何時それが覆させるかわからない。

常に先が見えない未来の中で、見ようとしないクラウドの目を、無理やりこじ開けさせようとするクリスを、彼は愛し、愛されたいと願った。

クリス自身は、特別なことを言っているという自覚も、相手を変えたいとも思っていないのだろう。
だが、彼女が何か言葉を発すれば、それはクラウドが今まで生きてきた人生総てよりも、重さを増して降りかかる。


雪が天から降り注ぎ、クラウドの肩を濡らした。

まるで、クリスのようだと思う。

真っ白で穢れがない、純真無垢な存在ではなく、この雪のように、いくつも降り注ぐのに、その姿は溶けて流れてすぐ消える。
だが、降り積もったその瞬間に消えてなくなるとしても、相手はその姿を決して忘れない。
雪自身は、ただ降っているだけ。存在しているだけ。自然の摂理に従い生きているだけ。
真っ白な空から降りてくるのではない。
灰色に曇った、分厚い雲の中から降りてくるのだ。
普段は空の中に溶けて目に見えない。
だが、確かにそこにいる。

春、日が暖かい光を放てば消えてしまう―その一点だけ違う。違うと思いたい。


もし、首都に帰った先に、あの人がいなかったら。
死んでいたら。何処かに去っていたら。そうしたら―自分はどうなるのだろう。

おかしくなるというなら、とっくにおかしくなっている。
あの人と出会う前に中途半端に狂い、あの人と出会って完全におかしくなった。
その狂気はとても幸せなものだったのだが、それをあの人はわかってはくれないだろう。



クラウドの亜麻色の髪に、撫でるように雪が降り積もる。
冷たいその感覚に、唇の端だけ上げて、薄く笑いながら、クラウドは足だけを機械的に動かし、たどり着く先に何が待っているのか、想像もつかない首都へ向かっていく。
巨大な城門が見え、開かれた門が霞む視界の向こうに見えてくる。
人通りは、普段とは違いまばらで、辻馬車の影もない。
寒さに震えながら、形だけ番をしている門番の見慣れた制服。

くすんだ城壁。
灰色の空。
ぬかるんだ地面。
肩をすくめて、上着のえりを合わせて、他人を目を合わせずに行き交う人々。


頭まですっぽりとかぶる外套を羽織り、顔以外全く肌を見せず、城門の脇に、ちょこん、と雪をさけて立つ―女。



ざあ、と風が吹き、雪が斜めに叩きつけられた。
白い視界の向こう側に、長い明るい前髪が見える。
目のいい女は、街の外から歩いてくる、長身の男の姿を見つけ―震えながら笑った。


「お帰りなさい」


その言葉を受け、男は早足で女に近づき、そばまでたどり着く。


「―ただいま」
「凄い雪ですね。ほら、随分積もってますよ」

外套の中に隠していた手を出し、クリスはクラウドの肩や、身体についた雪を払った。

「寒かったでしょう。お仕事、お疲れ様でした。何事もなく終わりましたか?」
「君に報告するような、面白いことは何もなかったね」
「お仕事ですから、仕方がないですよ」
「………クリス」
「はい?」
「君は、ずっとここで待ってたの?」
「まさか」

頬を赤く染めたクリスは、小さく笑った。

「年明けには帰ってくると聞いていたので、年末にアレンさんたちにうかがったんです。そうしたら、少し延びて年明けの午後くらいになるって教えていただいたので」
「それで、待ってたの?」
「はい」
「午後っていっても、長いよ」
「それはまあそうなんですけど。だから、運がよかったんですよ」
「運が?」
「はい。さすがに寒いので、もう少し待っても姿が見えなかったら、帰ろうと思ってたので」
「………………………」
「縁起が良いですよね」
「縁起が?」
「そうですよ。新年から、時間もわからない相手をちゃんと、迎えられたんですから。幸先がいいです」
「………そうだね」

頭の先から、つま先まで、完全防備したクリスは、クラウドの身体についた雪を総て払い終わると、すぐに手を引っ込めてしまう。
どれだけの間待っていたのかは、言わなかった。

「そんなに寒い?」
「寒いですねー。私、寒がりなんですよ。冬は嫌です。鼻水出るし」

そんな寒い中、人を待っているクリスは、その言葉がどれだけクラウドの心に火をつけたのかわからずに、小さく震えながら、やはり笑った。

「でも、私は休み中ですから。クラウドさんはお仕事だったでしょう。大変でしたね。全くこんな年末年始に仕事を頼むなんて、あの眼鏡………」
「まあ、仕方がないよ。あの人はあの人で忙しいのだし」
「それはそうなんですけど………。あ、すみません、こんなところで立ち話なんてしちゃって。お仕事、まだ終わってないんですもんね」
「そうだね。報告がまだかな」
「じゃあ、私はこれで。寮に戻りますね。クラウドさん」
「何だい?」

クリスは、ぺこりと頭を下げて言った。


「新年明けまして、おめでとうございます。昨年もお世話になりました。今年もよろしくお願いいたします」


平凡で、変哲のない新年の挨拶を終えたクリスは、これで自分の目的は果たしたとでも言うように、クラウドに笑いかけ、くるりと背を向けた。


「本当に風邪ひいちゃいますよ。早く行きましょう」

ふわりと広がる外套のすそが、まるでスカートのようだった。
その下から覗く、見慣れたズボンはきっちりとブーツに押し込まれ、濡れた雪の上に足跡を残す。
その足跡を一つ飛びで近づき、クラウドはクリスの肩を、ぽんぽんと叩いた。

「はい?」

歩みを止めて振り返るクリスの外套を、両手で、ふわりと押し広げる。


「うわ、寒い! 寒い!」

その隙に、クラウドは、すんなりとクリスの右手を握った。

「はい!?」
「手」
「はあ!?」
「手が冷たいね」
「そ、そうですか? まあ冬ですから」
「私の手も冷たい」
「外をずっと歩いてきたんだから、仕方がないですよ。あの、それで手………」
「暖めてくれる?」
「は!?」
「私はとても寒くて、凍えそうだから」
「寒いなら、自分の外套のポケットに手を入れておけばいいじゃないですか!」
「すぐ目の前に、もっと暖かいものがあるのに、それを見逃す手はないだろう?」
「………新年早々、いきなりセクハラですか!?」

クリスは寒さと関係なく顔を赤くし、クラウドは自分を待っていた小さな手を握り、笑みを浮かべる。

「さ、行こうか」
「何処にです!?」
「報告に」

クラウドは、クリスの手を握ったまま歩き出した。
小さな手は、大きな手にすっぽりと隠され、クリスはずるずるとクラウドに連行された。

「小さな手だね」
「………クラウドさんが大きいんじゃないですか?」

インクに汚れて、うっすらと黒く染まる指先。
数々の毒物を扱い、人を害してきたにも関わらず、傷一つない指先。

重ねてきた人生を、端的に表して、裏側ばかり見てきた男の手が、表を歩きながらも裏から目をそらさなかった女の手を握り締めて、人気のない街を歩き出した。


「おのれ………新年早々、罠だったか」

そう、ぶつぶつつぶやきながらも、クリスはクラウドの手を強引に振りほどいたりはしなかった。
クラウドの手の中で、わずかに力をこめて握り返される。
クラウドはそれに気づいたが、何も言わず、二人は並んで無言で歩き続けた。

ままごとの様な儀式は、クラウドが宮廷にたどり着くまで続けられ、
「クリス」
「はい?」
「………あけまして、おめでとう」
「………おめでとうございます、クラウドさん」
「今年もよろしく」
「はい、こちらこそよろしくお願いいたします」
滑稽に思えるほど、丁寧な挨拶が交わされ、二人は別々な方向に別れた。


雪は降り止み、新年は夜の帳を向かえ、クラウドは自分を待っていた女の背を見送った。



その後。

「新年といえば?」
「し、新年といえば?」
「お年玉」
「ああ、そうですね。でも私特別あげる相手もいませんし」
「私」
「はあ?」
「私にお年玉が欲しいな。休みなく働いていたんだから」
「………何が欲しいんです?」
「君」
「絶対言うと思った!」

仕事も終わり、しがらみがなくなったクラウドは、人気のない女子寮で、相手から見れば阿鼻叫喚の地獄絵図を展開したのだった。